ニュースを騒がせる「宗教」と仏教は全くの別物。アインシュタインが認めた決定的違いとは?
たびたび世間を騒がせる宗教関連のニュースを見て、「宗教はやはり非科学的で危ない」と感じていませんか?その感覚はもっともです。しかし、そのイメージが一部の新興宗教によるものだとしたら、2600年の歴史を持つ仏教まで同じものさしで判断するのは非常にもったいないかもしれません。この記事では、なぜアインシュタインが仏教を「近代科学と両立可能」と評したのか、その根本的な理由を解き明かします。
世間を騒がせる「宗教」と仏教、本当に同じですか?
「宗教」と聞くと、あなたはどんなイメージを抱くでしょうか。
オウム真理教の事件や、最近の旧統一教会の問題、あるいは輸血を拒否するエホバの証人など、たびたび世間を騒がせるニュースに触れるたび、「宗教は非科学的で、どこか危ないものだ」と感じる方も少なくないでしょう。
たいへん真っ当な感覚だと思います。
しかし、そのネガティブなイメージが、主に一部の新興宗教によって形作られているとしたらどうでしょう。2600年以上の歴史を持つ仏教まで、同じ「宗教」という枠で見て、敬遠してしまうのは、あまりにもったいないことかもしれません。
なぜなら、20世紀最高の科学者と称されるアルベルト・アインシュタインが、「近代科学と両立可能な唯一の宗教である」と評価したのが、他の何ものでもない仏教だったからです。
一体、仏教の何が、彼をそれほどまでに惹きつけたのでしょうか。この記事では、多くの人が誤解している「宗教」という言葉の本当の意味から解き明かし、仏教がなぜ科学と両立しうるのか、その核心に迫ります。
そもそも「宗教」とは?言葉のすれ違いが生んだ大きな誤解
なぜ私たちは、仏教もキリスト教も、そしてニュースを騒がせる新興宗教も、すべて「宗教」という一つの言葉で括ってしまうのでしょうか。
その原因は、明治時代にヨーロッパから入ってきた「religion」という言葉の翻訳にさかのぼります。
キリスト教を表す「religion」の本当の意味
「religion」という単語は、「re(再び)」と「ligion(結びつける)」というパーツから成り立っています。これは、キリスト教の教義そのものを表す言葉です。
キリスト教では、全知全能の神が最初の人間アダムとイブを創造したと教えられます。しかし、二人は神の言いつけに背いて「禁断の木の実」を食べたことで、楽園から追放されてしまいました。
これを「原罪」といい、全人類が生まれながらに背負う罪であり、苦しみの根本原因だとされます。
この、神に背き、離れてしまった人間が、再び神と結びつくための教えがキリスト教であり、まさに「religion(再び結びつける)」なのです。
もし、この「religion」を「宗教」と定義するならば、処女マリアからのイエスの誕生や、死者の復活といった「奇跡」を信じることが前提となるため、「宗教は非科学的だ」という見方にも頷けます。
日本語の「宗教」は、もともと仏教の言葉だった
一方で、私たちが使っている「宗教」という言葉は、仏教学者・中村元(はじめ)氏の研究によれば、もともとは仏教から出た言葉でした。
それは「宗(むね)となる教え」を意味します。
「宗」とは、人生の根本、宇宙の根本道理のこと。それを説き明かし、私たちの人生の根幹を明らかにする教えこそが「宗教」であり、それは本来、仏教を指していたのです。
つまり、「神との再結合」を目指すキリスト教(religion)と、「人生の根本法則」を説く仏教(宗教)は、全くの別物なのです。
もしキリスト教が宗教であるならば、仏教は宗教ではありません。この決定的違いを知ることが、仏教を正しく理解する第一歩となります。
なぜアインシュタインら世界の知性は仏教を称賛したのか
仏教が「religion」とは全く異なることは、世界の偉大な知性たちの言葉からも明らかです。彼らは、仏教の中に他の教えにはない、驚くべき合理性と卓越性を見出していました。
アインシュタイン「近代科学と両立可能な唯一の宗教」
相対性理論で知られるアインシュタインは、仏教についてこう断言しています。
仏教は、近代科学と両立可能な唯一の宗教である。
現代科学に欠けているものを埋め合わせてくれる宗教があるとすれば、それは仏教だ。
20世紀最大の科学者が、なぜこれほどまでに仏教を称賛したのでしょうか。それは、仏教が宇宙の大きな世界(相対性理論)とも、物質の極小の世界(量子力学)とも矛盾しない、驚くべき深さと広さを持っていたからです。
哲学者、心理学者も認めた仏教の卓越性
この評価は、アインシュタイン一人のものではありません。
私は他のすべてのものより、仏教に卓越性を認めざるをえない。
今日の宗教では、仏教がベストだ。その教えは深遠で、おおよそ合理的である。
仏教は、これまで世界の見た最も完璧な宗教であると確信する。
これだけの科学者、哲学者、心理学者が、なぜ異口同音に仏教を称賛するのでしょうか。その理由は、仏教が極めて“科学的”な2つの柱で成り立っているからです。
仏教が“科学的”だと言われる2つの核心的理由
仏教が、神への信仰や奇跡を前提とする他の多くの教えと一線を画し、合理的・科学的だと評価されるのには、明確な理由があります。
理由1:奇跡に頼らない。「因果の道理」という絶対法則
仏教の根幹を貫いているのは、「因果の道理」という普遍的な法則です。
「因果の道理」とは、「まいたタネは必ず生え、まかぬタネは絶対に生えない」という、原因と結果の法則のことです。
- 善いタネ(行い)をまけば、善い結果が現れる(善因善果)
- 悪いタネ(行い)をまけば、悪い結果が現れる(悪因悪果)
- 自分の運命は、すべて自分のまいたタネ(行い)が生み出したものである(自因自果)
私たちの運命は、神や偶然によって決まるのではなく、すべて自分自身の行いによって決まる、と教えられているのです。
これは、まさに科学の基本姿勢と同じです。科学は、何か結果が生じたとき、必ずその原因を探求します。そして原因が分かれば、それを変えることで未来の結果を変えようとします。
仏教もまた、神頼みや奇跡に頼るのではなく、不幸や苦しみの原因を正しく見つめ、その原因を変えることで運命を変えていくことを教えます。
ちなみに、仏教の言葉に「諦観(たいかん)」がありますが、これは「あきらめる」ことではありません。本来は「諦(あき)らかに観る」という意味。因果の道理をありのままに見て、正しく対処していく、という非常に前向きな姿勢なのです。
理由2:科学が答えない「何のために生きるか」への明確な答え
科学は、「どのように(How)」雨が降るのか、「どのように」星が動くのかを驚くほど詳細に解き明かしてくれます。
しかし、科学は「なぜ(Why)、自分は人間として生まれてきたのか」「何のために生きるのか」という、人生の根本的な目的については答えてくれません。
この、科学が扱うことのできない領域に、明確な答えを明らかにしているのが仏教です。
そもそも仏教を説かれたブッダ(釈迦)自身が、「人は何のために生きるのか、本当の幸せとは何か」という問いの答えを求め、その生涯をかけて探求された方でした。
だからこそ仏教には、私たちが「生まれてきた目的」と、「その目的を達成して、本当の幸福になれる道」が、ハッキリと示されているのです。
【まとめ】あなたの知らない仏教へ
この記事では、多くの人が抱く「宗教」への誤解を解き、仏教がなぜ科学者や哲学者から高く評価されるのか、その理由を見てきました。
- 仏教は、神との再結合を説く「religion」とは全く異なる。
- 仏教の根幹は「因果の道理」という、科学とも通じる合理的・普遍的な法則である。
- 仏教は、科学が答えない「人生の目的」という根源的な問いに明確な答えを示す。
ニュースで目にするような「宗教」のイメージだけで仏教を判断してしまうのは、人生の最も大切な答えを知る機会を、自ら手放してしまっているようなものかもしれません。
この記事が、あなたが「食わず嫌い」を乗り越え、本当の仏教の教えに触れるきっかけとなれば幸いです。
参考動画: 【科学と両立する仏教】キリスト教が宗教なら、仏教は宗教じゃない