金メダルは、なぜアスリートを「地獄」へ導くのか?

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パリオリンピックで日本中を熱狂させた堀米雄斗選手。しかし、彼の口から出たのは「この3年間は地獄でした」という衝撃的な告白でした。なぜ、誰もが憧れる栄光の裏側で、彼らは苦悩するのでしょうか。この記事では、トップアスリートたちの魂の叫びを手がかりに、目標達成の先にある「本当の幸福」とは何かを解き明かします。

衝撃の告白「この3年間は地獄でした」― 堀米雄斗選手の魂の叫び

パリオリンピックでも、多くの日本選手が素晴らしい活躍を見せてくれました。 特にスケートボード男子ストリートでオリンピック2連覇を果たした堀米雄斗選手の演技は、多くの人の胸を熱くしたのではないでしょうか。

最終5回目の演技、失敗すればメダルなしという極限のプレッシャーの中で97点という最高得点を叩き出し、見事な大逆転劇を演じました。

会場は歓喜に包まれ、誰もが彼の偉業を讃えました。しかし、インタビューで彼の口から発せられた第一声は、私たちの予想を裏切るものでした。

「これまでの3年間は地獄でした」

3年前の東京オリンピックで金メダルを獲得してからの日々が、「地獄」のような苦しみだったと告白したのです。そして、こうも語りました。

「もちろんうれしいですけれども、これからのことを考えると、さらに一層険しい道が待っているということが分かる」 「終わりがないんです

4年後のオリンピックを尋ねられても「とても考えたくない、考えるときつい」とまで言わしめた、その言葉の重み。これは、栄光の頂に立った一人のアスリートが発した、魂の叫びでした。

「金メダルなんて取らなきゃよかった」14歳の天才スイマーを追い詰めた重圧

オリンピック選手の栄光と苦悩といえば、1992年のバルセロナオリンピック、当時14歳で金メダルを獲得した岩崎恭子さんの姿を思い出す人も多いでしょう。

レース後のインタビューで「今まで生きてた中でいちばん幸せです」と語った彼女の姿は、日本中に感動を与えました。

しかし、その後の彼女を待っていたのは、想像を絶する重圧でした。帰国すれば5万人の人だかり、学校ではサインをせがまれ、ストーカーまがいの行為をされることも。自宅には嫌がらせの電話が殺到し、何度も電話番号を変えなければならなかったといいます。

何より彼女を苦しめたのは、発育とともに伸び悩んだ成績でした。世間の期待に応えられない苦しみから、彼女は「こんなことなら金メダルなんて取らなきゃよかった」と何度も思ったと語っています。

彼女にとって、あれほど輝いて見えた金メダルは、いつしか人生を縛る「重荷」に変わってしまっていたのです。 堀米選手や岩崎さんの例は、世間でいわれる「相対的な幸福」がいかに脆く、崩れやすいものであるかを、私たちに突きつけています。

「あるはずのものが、何もない」元・世界王者が辿り着いた空虚な頂

この「頂点を極めても、少しも幸せになれない」という問題は、より深刻な形で私たちに問いを投げかけます。元プロボクサーの世界チャンピオン、鬼塚勝也氏の告白です。

彼は、少年の頃から「神様に近い存在」だと憧れていた世界チャンピオンの座に、22歳の若さで就きました。しかし、その頂で彼が感じたのは、信じがたいほどの「空虚」でした。

試合に勝ってはみたものの、あるはずのものが何もないんです。
「エッ 何なのこれ? なんで 何もないんや?」 「いや 次勝てばきっと何かが得られる」そう信じて次から次へと試合を積み重ねていきました。だけど何も残らない。
試合が終わった夜は、生き残れた実感と自分が探し求めたものが何もなかったという寂しさで発狂しそうになりました。 俺は常に素直に飛び跳ねる自分でおりたいのに、充足感がないから、「何でや?」という思いばかりが虚しく深まっていく。 最後の試合までずっとその繰り返しでした。

— 鬼塚勝也氏(『週刊文春』平成六年十一月より)

スーパーマンになれるはずだった。しかし、そこには何もなかった。この苦悩は、ボクシングやスポーツの世界に限りません。 茶道、華道、書道、あるいは学問や芸術。どんな道をどこまで進んでも、「これで完成した」という終わりはありません。

堀米選手が言ったように「終わりがない」のです。それはつまり、死ぬまで求め続けなければならないということ。人生に終わりはあるのに、求める道に終わりがないとすれば、それは「死ぬまで苦しみが終わらない」ということになってしまいます。

終わりなき道を歩む苦悩を表現する画像
どんな道も、極めようとすれば終わりはない。それは生涯続く苦しみを意味する

なぜ、私たちの努力は報われないのか?

私たちは皆、幸せになるために努力をしています。アスリートが金メダルを目指すように、私たちも仕事で成果を出し、人間関係を良好に保ち、何かを成し遂げようと日々頑張っています。

この「努力」を仏教では「精進」といいます。

「精進」の本当の意味

「精進」と聞くと、肉や魚を食べない「精進料理」を思い浮かべるかもしれませんが、「精進」とは肉食しないことではありません。「精を出して進む」、つまり「努力する」ことを「精進」というのです。

ただし、正しい精進(正精進)とは、完成のある道、本当の幸せになれる道へ向かっての努力です。

もし、私たちの努力が「完成のない道」へ向かっているとしたら、それは死ぬまで続く苦しみを生むだけです。 鬼塚氏が「なぜ僕は存在しているのか」と問い続けたように、多くの人が努力の末に虚しさを感じるのは、努力の「方向」そのものが間違っているからかもしれません。

人生のゴールはここにあった。死を超えて続く「絶対の幸福」とは

では、完成のある道、本当の幸せへと続く道は、はたして存在するのでしょうか。

「存在する」と断言しているのが、仏教であり、浄土真宗を開かれた親鸞聖人の「平生業成(へいぜいごうじょう)」の教えです。

「平生業成」とは
  • 「平生」とは、生きている現在のこと。
  • 「業」とは、人生で最も果たさねばならない大事業。
  • 「成」とは、完成する、達成するということです。

つまり、死んでからではなく、この世で生きている今、人生の目的が完成できる、というのが平生業成の教えです。

死ぬまで完成のない道を求めるのが人生ではない。

老いや病、そして死が来ても決して崩れることのない「絶対の幸福」になり「生きてよし、死んでよし」と心から安心・満足できる身になることが、 人生の目的なのだということです。

金メダルや世界一の称号でも得られなかった、心からの安心と満足。 それこそが、親鸞聖人の教えられる「本当の幸福」です。

アスリートたちの努力は尊く、美しいものです。しかし、最も大事なのは、その努力がどこへ向かっているのか、ということです。

この記事を読んでくださったあなたも、ぜひ一度、ご自身の努力の方向性を見つめ直し、本当の光、本当の幸せに向かう道について、聞いてみられてはいかがでしょうか。

光に向かう道を象徴する画像
いまの私は幸福に向かって進んでいるだろうか

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参考動画: 【パリ五輪から学ぶ浄土真宗】金メダルは人を幸せにするのか【平生業成】