好き嫌いはさておき、トランプ氏の人生が教える「成功の先にある虚しさ」とは
世界を良くも悪くも揺るがす男、ドナルド・トランプ氏。彼に対して、強いリーダーだと感じる人もいれば、自国第一主義の脅威だと感じる人もいるでしょう。しかし、かつてビジネスマンとして、莫大な富を築いた成功の絶頂で「言いようのない虚しさ」を告白していたことは、あまり知られていません。なぜ、全てを手に入れたはずの人間が虚しさを感じるのか。その姿は、地位や財産だけでは決して満たされない、私たち自身の「人生の目的」を考える上で、重要なヒントを与えてくれます。彼の波乱の人生から、その答えを紐解いていきましょう。
富と名声の頂点へ ― 不動産王トランプの誕生
多くの人が「成功」と聞いて思い浮かべるものは何でしょうか。莫大な富、社会的な名声、そして思いのままになる権力かもしれません。そのすべてを、まさに体現したかのような人物がドナルド・トランプ氏です。
父から受け継いだ商才とマンハッタンへの野心
1946年、不動産業を営む父のもとに生まれた彼は、幼い頃からビジネスの才覚を現します。大学を卒業後、父の会社に入るとすぐに頭角を現し、20代で社長に就任。彼の夢は、世界経済の中心地であるマンハッタンの景観を、自らの手で塗り替えることでした。
その野望を実現するため、彼は大胆な手法で事業を拡大していきます。経営不振の会社の物件を安く買い叩き、豪華なビルに生まれ変わらせて高値で売りさばく。その商才は多くの人を驚かせました。
「トランプタワー」の大成功と4000億円の資産
その名を全米に轟かせたのが、ニューヨーク五番街にそびえ立つ「トランプタワー」です。ガラス張りの外壁に、ピンクの大理石で彩られた内装。彼の名を冠したビルは、それだけで価値が上がると言われるほどのブランドとなりました。
彼は次々と成功を収め、42歳の若さで4000億円もの個人資産を築き上げたのです。まさに、触るものすべてが黄金に変わるかのような快進撃でした。
「なぜだ…?」成功の絶頂で訪れた“空虚な心”
富、名声、そして美しい家族。誰もが羨む人生の絶頂にあったトランプ氏。しかし、その彼の心は、意外な闇に包まれていました。
トランプ自身の告白「寂しく、虚しく、放心に近い」
後年、彼は自伝に当時の心境を赤裸々に綴っています。
人生最大の目標をなしとげた人で、その目標達成とほぼ同時に、寂しく虚しく、放心に近い感情を抱き始めることのない人は、めったにいない。他人の人生を見るまでもなく、それが本当だということは私にはわかる。私も他の誰にも劣らず、その落とし穴に陥りやすいのだ……。
「目標を達成した瞬間、心にぽっかりと穴が空いてしまう」
多くの人が夢見る成功の頂で彼が感じたのは、達成感ではなく、言いようのない虚しさだったのです。
他の誰にも劣らず陥る「落とし穴」とは何か
トランプ氏が語る「落とし穴」。それは、成功者である彼だけが陥る特別なものではありませんでした。むしろ、目標を追い求める誰もが陥る可能性がある、普遍的な心のわなだったのです。
事実、この告白の後、彼は仕事への情熱を失い、不動産価格の暴落も相まって、彼の王国は崩壊の危機を迎え始めます。
成功は砂上の楼閣か ― 1兆4千億円の借金地獄
昇り詰めた太陽がやがて沈むように、彼の栄華にも陰りが見え始めます。
「物乞いの方が幸せだ」転落の日に感じたこと
不動産事業の失敗により、彼は一転して92億ドル(当時の日本円で約1兆4千億円)もの莫大な借金を抱えることになります。妻にも去られ、まさに頂天から奈落へ。
ある日、街で物乞いから施しを求められた彼は、こう感じたといいます。
「資産がゼロの彼の方が、1兆円以上の借金を抱える俺よりも、ずっと幸せではないか」と。
このエピソードは、私たちに「幸福とは何か」を鋭く問いかけます。
仏教の真理「諸行無常」― 栄える者は必ず衰える
実は、このような成功の儚(はかな)さについて、今から約2600年前のインドで、お釈迦様(ブッダ)が明確に説かれています。それが仏教の根幹をなす「諸行無常(しょぎょうむじょう)」の教えです。
この世の「諸行(すべてのもの)」は、「無常(常ならず)」、つまり、絶えず変化し続け、一瞬たりとも同じ状態に留まることはない、ということ。
有名な『平家物語』の冒頭にも次のように書かれています。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり
どんなに咲き誇る花もやがて色あせ、どんなに権勢を誇る者も必ず衰える(盛者必衰)。
トランプ氏の人生は、まさにこの諸行無常の真理を、現代に生きる私たちにまざまざと見せつけているかのようです。
不死鳥の復活、そして大統領へ。しかし、避けられない「最後の問い」
七転び八起きの復活と、再び手にした権力
しかし、常人であれば心が折れてしまうような状況から、トランプ氏は不屈の精神で復活を遂げます。
再び大富豪へと返り咲き、ついにはアメリカ大統領という、世界の権力の頂点にまで上り詰めたのです。
彼のジェットコースターのような人生は、多くの人に勇気や希望を与えたかもしれません。その手腕や政策は、世界中に大きな影響を与え続けています。
しかし、彼が本当に向き合うべき問題は何か
これだけの成功を収め、波乱万丈の人生を思う存分生きたのだから、彼の人生は「成功」だと言えるのでしょうか。
確かに、この世の物差しで測れば、彼は紛れもない成功者でしょう。しかし、仏教は、私たちに「最後の問い」を投げかけます。
それは、やがて必ず訪れる「死」によって、築き上げたすべてを失う時、あなたの人生は本当に「これでよかった」と満足できるのか?という問いです。
どんな富も、名声も、権力も、死を前にしては無力です。すべてを置いていかねばならない時、トランプ氏の心に、そして私たちの心に残るものは、一体何なのでしょうか。
人生の目的とは何か?― 仏教が示す「老病死」を超えた幸福
仏教では、私たちが追い求める幸福には二つの種類があると教えられます。
トランプ氏が手にした幸福は「相対的な幸福」
一つは、トランプ氏が手に入れたような幸福です。これらを仏教では「相対の幸福」と言います。
お金、財産、地位、名誉、健康、家庭など、何かと比べて、何かの条件が満たされて初めて感じられる、一時的で、壊れやすい幸福のことです。人より優れていると感じる優越感や、欲が満たされた時の満足感がこれにあたります。 しかし、これらは比較対象や周りの状況、そして自身の老いや病、死によって、たちまち色あせ、苦しみに転じてしまう性質を持っています。
この相対的な幸福をいくら追い求めても、トランプ氏が感じたような「虚しさ」や、失うことへの「不安」から、根本的に逃れることはできないのです。
病や死によっても決して壊されない「絶対の幸福」
何を求めても虚しいのであれば、本当の人生の目的とは何なのでしょうか。 それは、もう一つの幸福である「絶対の幸福」になることだと、仏教では断言されています。
周りの環境や、老いや病、そして死といった、どんな変化によっても決して崩れることのない、永遠に続く幸福のことです。これは、阿弥陀仏という仏の、「すべての人を必ず絶対の幸福に救う」というお約束(本願)によってのみ得られるものです。
この絶対の幸福になった時、人生の目的が達成され、「人間に生まれてきてよかった」という生命の喜びが、心の底からあふれ出てくると教えられています。
まとめ: あなたの人生は、何のためにあるのか
ドナルド・トランプ氏の波乱に満ちた人生は、私たちに多くのことを教えてくれます。
この世の成功がいかに儚く、虚しいものであるか。そして、富や名声といった「相対的な幸福」だけを追い求めていては、心の底からの安心も満足も得られない、ということです。
彼が直面した「虚しさ」は、決して彼一人のものではありません。多かれ少なかれ、私たち誰もが、人生のどこかで直面する根源的な問いです。
この記事を読まれたあなたも、ぜひ一度立ち止まって考えてみていただきたいと思います。
あなたの人生は、一体何のためにあるのでしょうか。
死によっても崩れない、本当の幸福があることを、ご存知でしょうか。
その答えは、2600年前に説かれた仏教の中に、ハッキリと示されています。
参考動画: ドナルド・トランプの人生から考える人生の目的【仏教の教え】