【衝撃の一文】「すべては空事、たわごと」—『歎異抄』が示す“唯一のまこと”とは?
「なぜこんなに苦しいのか」「心から信じられるものなど何もない」。そう感じたことはありませんか?700年以上前に書かれた日本の古典『歎異抄』には、その根本原因と、ただ一つの解決策が、脳天に雷が落ちるような衝撃的な言葉で記されていました。数多くの著名人を虜にし、人生の絶望を希望の光に変える「唯一のまこと」とは何か。この記事で、その核心に迫ります。
移り変わる世で、変わらない光を灯す書『歎異抄』
人が生きるということは、迷い苦しむことだと言えるかもしれません。壁にぶつかり、困難に挫折し、時にはすべてを投げ出して消えてしまいたいと思うほどの苦しみに襲われることもあります。
そんな、次から次へと苦しみが押し寄せる人生において、多くの人々の心の支えとなり、希望の光を与えてきた一冊の本があります。それが親鸞聖人の言葉を記した『歎異抄(たんにしょう)』です。
人生は苦しみ。だからこそ「変わらないもの」を求める
私たちは、常に移り変わる世の中に生きています。歌手の荒井由実(松任谷由実)さんの名曲『卒業写真』に、こんな一節があります。
人ごみに流されて 変わってゆく私を
あなたはときどき 遠くでしかって
私たちは、周りの環境や人間関係の中で、良くも悪くも変わり続けてしまう存在です。だからこそ、心のどこかで「これだけは変わらない」という確かなものを探し求めているのではないでしょうか。
『歎異抄』には、その「変わらないもの」が明確に説かれています。
700年の時を超えて希望を与え続ける親鸞聖人の肉声
『歎異抄』は、今から700年以上も前に書かれた仏教書です。そこには、浄土真宗の開祖・親鸞聖人の生々しい肉声が、弟子の唯円(ゆいねん)によってそのまま書き残されています。
この本に記された教えが、時代を超えてどれほど多くの人々の心を照らしてきたか。まずは、各界の著名人の言葉からご紹介します。
なぜ『歎異抄』は著名人をも虜にするのか?
杉良太郎氏が語る「人生の道しるべ」
俳優の杉良太郎氏は、高森顕徹著『歎異抄をひらく』に寄せた感想で、こう語っています。
どう生きたらいいのかを示す本はあっても、生きる意味を考えさせる本はなかなかありません。まさに人生の「道しるべ」となる1冊でしょう。道しるべがないと、人間 本当に迷ってしまうのです。
『歎異抄』は、迷いに満ちた人生に、確かな答えを与えてくれる「道しるべ」である、というのです。
宮本輝、倉田百三らが絶賛する「日本文の国宝」
芥川賞作家の宮本輝氏は、その代表作『春の夢』の中で、登場人物にこう言わせています。
歎異抄が、どれだけの人間に光明を与えて来たか知ってるか。生きる勇気をもたらして来たか知ってるか。
また、大正時代の大ベストセラー『出家とその弟子』を著した劇作家の倉田百三は、『歎異抄』を「日本文の国宝」とまで評し、次のように絶賛しています。
歎異鈔は、私の知っているかぎり、世界のあらゆる文書の中で、一番内面的な、求心的な、そして本質的なものである。…歎異鈔より本質的に内面的な書物を世界に求めても、ありはしない。これは敬虔な態度で襟を正して読むべき書であり、また燈下に親しむべき心の友である。
歴史家の司馬遼太郎が「無人島に一冊持っていくなら『歎異抄』だ」と語ったことも有名です。なぜこれほどまでに、各界のトップランナーたちがこの本に心惹かれるのでしょうか。その理由は、『歎異抄』に記された親鸞聖人の教えそのものにあります。
思想上の大革命―親鸞聖人の「肉食妻帯」が意味するもの
『歎異抄』に記された言葉の主、親鸞聖人は、仏教史上初めて、公然と「肉食妻帯」を断行された方です。
当時の仏教界の常識であった、「肉を食べない」「結婚をしない」という戒律を破り、妻を持ち、肉を食べる生活を公にされたこと。
これは、殺生や女犯を禁じる仏教の戒律を自ら破る行為であり、親鸞聖人は生涯にわたって「堕落坊主」「破戒僧」と、すさまじい非難を浴び続けました。
仏教界の常識を破った「確固たる精神」
なぜ、親鸞聖人はそのような行動をとられたのでしょうか。文豪・夏目漱石は、その背景にある精神力に驚嘆し、次のように語っています。
これはまあ、思想上の大革命でしょう。親鸞上人に初めから非常な思想があり、非常な力があり、非常な強い根柢のある思想を持たなければ、あれほどの大改革は出来ない。…其所にその人の自信なり、確乎たる精神なりがある。
夏目漱石が「思想上の大革命」と評した、世間の常識や非難をものともしない親鸞聖人の確固たる精神。その思想の核心が、これからご紹介する『歎異抄』の衝撃的な一文に凝縮されているのです。
【衝撃の一文】「万のこと、皆もって空事・たわごと・真実あること無し」
『歎異抄』には、一度読んだら忘れられない名文が数多くありますが、中でも後序の一文は、私たちの価値観を根底から揺るがす、強烈な響きを持っています。
煩悩具足の凡夫・火宅無常の世界は、万のこと皆もって空事・たわごと・真実(まこと)あること無きに、ただ念仏のみぞまことにて在します。
この一文を理解するために、まず言葉の意味を見ていきましょう。
私たち「煩悩具足の凡夫」が住む「火宅無常の世界」
親鸞聖人は、まず私たち人間と、私たちが住むこの世界を、仏教の視点から厳しく定義します。
欲や怒り、ねたみそねみといった108の煩悩でできている、どうしようもない人間のこと。仏教では、これが「すべての人間の本当の姿」であると教えられる。
煩悩具足の私たちが住むこの世界のこと。「火宅」とは火のついた家のように不安な場所、「無常」とはすべてが移り変わり、何一つ続かないことをいいます。
私たちは、「煩悩の塊」であり、そんな私たちが「燃え盛る家のように不安で、すべてがやがて崩れ去る世界」に生きている。これが、聖人が示される私たちの現在地です。
この世の全てが真実ではない、という恐るべき宣告
そして、この冷徹な人間観・世界観に基づき、聖人は恐るべき結論を断言されます。
「万のこと皆もって空事・たわごと・真実(まこと)あること無し」
これは、「この世のありとあらゆる全てのことは、例外なく、空言であり、たわごとであり、真実は一つもない」ということです。
私たちが大切にし、価値があると思っている、政治、経済、科学、医学、芸術、道徳…そうした人間の営みすべてが、真実ではないと断言されているのです。
いつでも、どこでも、永遠に変わらないもののこと。時間や場所によって変化するものは、仏教では真実とは言わない。
この世に、永遠に変わらないものなど、何一つない。これが、親鸞聖人の「まことあることなし」の言葉の重みです。
「ただ念仏のみぞまこと」―唯一の真実とは何か
では、何もかもが虚しいのなら、私たちは何を頼りに生きていけばいいのでしょうか。 その答えこそが、続く「ただ念仏のみぞまことにて在します」という一文です。
この世のすべてが偽りであり、私たちを裏切っていく中で、ただ一つだけ、絶対に裏切らない「まこと」がある。それが「念仏」だと聖人は仰います。
この「念仏」は、私たちがただ口で「南無阿弥陀仏」と称える行為そのものを指しているのではありません。 これは、私たちを救うために建てられた阿弥陀仏の本願によって救い摂られた者が称えさせていただく「他力の念仏」のことです。
阿弥陀仏の本願力によって称えさせていただくのですから、「(他力の)念仏のみぞまこと」とは、 「弥陀の本願のみぞまこと」ということです。
つまり、親鸞聖人が示された唯一の真実とは、阿弥陀仏の本願なのです。
「本当に、聖人の仰せの通りだった」─苦しみを縁として知る“唯一のまこと”
「裏切らないものはない?そんなことはない。この世にも楽しいことや、信じられるものはあるはずだ」
そう反発したくなるのが、私たちの素直な感情かもしれません。
しかし、いかなる人にも、この聖人の言葉が真実であったと知らされる時がやってきます。
全てを手にした友人が知った「夢のような」人生の結末
私には、学生時代に共に仏法を学んだ友人がいました。その友人は社会に出て成功し、地位も名誉も家庭も手に入れましたが、数十年ぶりに再会したとき、こう語っていました。
「昨年、妻を失った。今にして思えば、なんだかすべてが夢のようにしか思えない。本当に変わらない幸せというのはないなと、つくづく思う」
順風満帆に見えた人生の果てに彼が知らされたのは、聖人の仰る通り、「すべては夢のようにはかなく、真実の幸福ではなかった」という事実でした。
我が子の死を縁に知らされた「本当の救い」と「善知識」の意味
また、我が子を亡くした悲しみを縁として、真剣に仏法を聞き求め、阿弥陀仏の本願に救われたあるお母さんは、後にこう語っています。
夢の世を
あだにはかなき身と知れと
教えて還る 子は知識なり
このお母さんは、亡き子が、この夢のようにはかない世界で「唯一のまこと」を聞きなさいと、その身をもって教えてくれたのだと知らされたのです。
このお母さんにとっては、亡くなった我が子が「善知識」だったのです。
私たちを本当の幸福へと導いてくれる人のこと。
親鸞聖人の言葉を、身をもって体得するために
もし、あなたが今、大切な人を亡くした悲しみの中におられるとしたら、その死を決して無駄にしないでいただきたいのです。
故人の死を無駄にしない、たった一つの道
本当にその人の死を悼むのであれば、それを「縁」として、仏法を聞き求め、そして変わらぬ真実、弥陀の本願に救い摂られていただきたいのです。
あなたが救われれば、その方の死は、あなたを真実へと導いた、この上なく尊い意味を持つものに変わります。
そして、救われたあなたが浄土へ往って仏に生まれれば、仏の力によって、今度はあなたがその方を救い、導くことができるのです。
阿弥陀仏の本願を聞き、本当の幸福を知る
万のこと皆もって空事・たわごと・真実あること無きに、ただ念仏のみぞまことにて在します。
この親鸞聖人のお言葉は、一見すると厳しいですが、決して私たちを突き放すものではありません。
すべてが夢、まぼろしであるからこそ、ただ一つ、絶対に裏切ることのない「真実」が輝きます。
それが、阿弥陀仏の本願であり、私たちが変わらぬ幸福になれる、唯一の光なのです。
参考動画: 【日本文の国宝的名著】『歎異抄』~時空を超えて希望の光を与える親鸞聖人の肉声~衝撃の一文(後序)