『なぜ生きる』100万部突破に寄せて――生命の尊厳を見つめ直す
今日は、私が時折ご紹介している『月刊 人生の目的』の4月号についてお話ししたいと思います。この雑誌は私の友人が編集している月刊誌なのですが、今月号には非常に感慨深い内容が記されていました。
それは、書籍『なぜ生きる』がついに100万部を突破したというニュースです。
これを受けて、発行元である「1万年堂出版」の社長、西田隆さんが文章を寄せておられます。12ページにある「『なぜ生きる』100万部突破を祝して 1万年堂出版の使命」と題されたその文章を読み、私は改めてこの本の持つ重みを再確認しました。
西田社長は私自身もよく知る方で、先日も移動の合間にしばらく歓談し、大変楽しい時間を過ごしたばかりです。
出版界の現実と『なぜ生きる』の25年
西田社長の文章の中で、まず驚かされるのは日本の出版界の現状です。現在、日本国内では1年間で約7万点もの書籍が出版されています。これをすべて積み上げると、その高さは地上約400キロメートルを回る国際宇宙ステーション(ISS)をはるかに超えるというのです。それほどの膨大な本が、毎日、毎年、世に送り出されています。
しかし、その多くは厳しい現実に直面します。そもそも書店の棚に並ぶことさえ叶わない本もあれば、並んだとしても売れなければ早ければ3日か4日、長くても2週間もすれば撤去されてしまいます。新陳代謝が極めて激しいこの世界において、『なぜ生きる』という本は25年間、常に書店の棚に置かれ続け、そして売れ続けてきたのです。
この事実は、単なるベストセラーという言葉では片付けられない、驚くべき結果であると西田社長は述べています。一時のブームやタレント本ではなく、仏教に関する書籍がミリオンセラーを記録したのは戦後初めての快挙です。
なぜ、これほどまでに長く読まれ続けているのか。それは、この本が扱うテーマが、時代を超えて誰もが直面する「生命の尊厳」そのものだからに他なりません。
「なぜ生きる」の問いと、命の大切さ
私が常々お話ししている通り、「なぜ生きる」の答えを知るということは、生命の尊厳を知るということと同じです。
- 自分が何のためにこの世に生まれてきたのか
- なぜ、苦しくても生きていかなければならないのか
- なぜ、自殺をしてはいけないのか
これら、生きる理由や目的を明確に知ることこそが、そのまま命の大切さ、尊さを理解することに直結します。
この25年間、私たちが生きてきた世界は一体どのような歩みを見せてきたでしょうか。それを振り返ると、この問いの重みがさらに増してきます。
『なぜ生きる』が発行されたのは、平成13年(2001年)4月20日でした。21世紀が始まったまさにその年、世界では一体何が起きたか。皆さんも記憶に新しいでしょう。9.11、アメリカ同時多発テロです。
2001年、血で血を洗う21世紀の幕開け
あの時、私はちょうどアメリカのロサンゼルスに滞在していました。前の晩から事情があってほとんど眠れず、明け方の5時頃にふとテレビをつけたのです。
画面には快晴の空の下、ニューヨークのワールドトレードセンター(ツインタワー)が映し出されていました。しかし、一方のタワーから煙が上がっている。「ビル火災かな?」と思いチャンネルを変えましたが、どの局も同じ場面を映しています。ただならぬ気配を感じて見守っていると、やがて音もなく画面の左側から一機の飛行機が突っ込んできました。まだ煙の出ていなかったもう一つのタワーに激突し、凄まじい炎が上がったのです。
それは、イスラム教原理主義者たちによる同時多発テロでした。各地で乗っ取られた飛行機がぶつかり、ペンタゴン(国防総省)のそばにも墜落しました。テレビの画面には「America Attacked(アメリカが攻撃されている)」という、不気味で禍々しい字幕が踊っていました。
私が泊まっていたホテルの隣も、実は国際貿易センタービルでした。そのためホテル内では「次はロスが狙われる」という噂が飛び交い、騒然とした空気に包まれました。私のぼんやりとした頭も一気に覚醒し、「これは、大変なことになった」と驚いたのを、今も鮮明に覚えています。
その後、空港も封鎖され、私の帰国も3日ほど遅れました。21世紀という新しい世紀は、このように血で血を洗う恐ろしいテロから幕を開けたのです。
戦争がやまない人間の歴史と「2026年」の現在
その後、アメリカはイラク戦争を起こし、サダム・フセインを処刑しました。当時は大量破壊兵器の保持やテロリストの隠匿が理由とされましたが、実際には石油の利権や、基軸通貨としての「ドル」の地位を守るための思惑があったと言われています。
遡って20世紀を振り返れば、二つの世界大戦がありました。第一次世界大戦、そしてヒトラー率いるナチスドイツによる侵攻から始まった第二次世界大戦。日本もまた、広島・長崎への原爆投下を経て、国中が廃墟と化す惨劇を経験しました。人類は身にしみて戦争の愚かさを知ったはずでした。しかし、その後の東西冷戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争という熱い戦争を経て、ソ連が崩壊してもなお、平和は訪れませんでした。
アメリカ一強の時代からリーマンショックを経て、中国が台頭し、現在は米中の覇権戦争の時代です。2022年にはロシアがウクライナに侵攻し、4年以上が経過した今も解決の糸口は見えません。そして2026年の今年、アメリカはイスラエルと共にイランへ攻め込みました。
国際法が無視され、力ある者が弱きを挫く。まるで19世紀に逆戻りしたかのような、野蛮な時代に私たちは生きています。日本もまた、唯一の同盟国であるアメリカの行動を正面から批判できず、政治家たちが国益のために苦心しているのが現状です。果たしてこの先、人類は本当の幸せに近づけるのでしょうか。
一神教の論理と、その根底にある恐怖
ここで、現在の紛争を宗教的な視点から論じてみたいと思います。
ロシアとウクライナは、同じキリスト教の派生であるロシア正教・ウクライナ正教の信徒同士です。しかし、ロシア正教の総主教キリル1世は、この侵攻を全面的に擁護しています。本来、戦争を止めるべき宗教指導者が、政治権力と結びついて殺りくを支援しているのです。
また、アメリカ・イスラエル・イランの対立は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という三つの宗教が絡み合っています。しかし、実はこの三者は同じ「旧約聖書の神」を信奉する、同質同根、いわば兄弟の宗教なのです。創造主であり、唯一絶対神を、ヤーウェ、ゴッド、アッラーと呼び方は違えど、その正体は同じ神です。
なぜ同じ神を信じながら、1000年前の十字軍の時代から現代に至るまで、これほど凄惨な殺し合いを続けるのでしょうか。その鍵は、旧約聖書の中に記された「神の命令」にあります。
かつてユダヤ人が、神に約束された地・カナンに戻ろうとした際、そこには異民族が住んでいました。神にどうすべきか尋ねたところ、その答えは「異民族は虐殺せよ」という極めて峻烈なものでした。これは『旧約聖書』の「ヨシュア記」に明確に記されている事実です。 日本のクリスチャンの多くは、この不都合な事実を語りません。愛と平和の物語は語りますが、神が「異民族を殺せ」と命じる残虐な側面については、自分たちも知らないか、あえて口を閉ざしているのです。
しかし、この「宗教的信念」こそが戦争を終わりのない殲滅戦へと変えてしまいます。神の命令に忠実であろうとする敬虔な信者であればあるほど、異教徒や異民族を排除することに躊躇がなくなってしまう。これはパスカルが『パンセ』の中で警告した恐怖でもあります。土地や食料、エネルギーの奪い合いに加えて、この「一神教の論理」が戦争を一層凄惨なものにしている側面は否定できないでしょう。
仏教が提示する「別の解決方法」
こうした世界の現状を目の当たりにする中で、多くの日本人は違和感を覚え、一神教とは異なる「別の解決方法」を仏教に求めているのではないでしょうか。
仏教には、異民族を殺せ、他宗教の者を殺してよいという教義は一切ありません。 かつてオウム真理教が仏教徒を名乗って凄惨な事件を起こしましたが、あのような行為は仏教の教えとは対極にあるものです。本当の仏教徒であれば、人を殺めるようなことは絶対に致しません。
人類の未来に、世界平和の兆しはまだ見えてきません。第3次世界大戦の前夜であると危惧する声さえあります。しかし、私たちはこの破滅を避けなければなりません。その知恵の根底に置くべきは、「すべての人間には生きる目的があり、人種や民族を超えて、その命は平等に尊い」という認識です。
かつて哲学者ハイデガーは、英訳の『歎異抄』を読んでこう語ったといいます。
「世界中の人々がこの親鸞聖人の教えを学んでわがものとするならば、その時こそ世界の平和に対する見通しがつくだろう」
21世紀が四半世紀を過ぎた今も、その理想は遠いところにあります。しかし、「すべての人が平等に救われる」という仏教の真髄、「阿弥陀仏の本願」の精神こそが、今まさに世界に必要とされているのではないでしょうか。
80億人の「なぜ生きる」を共有するために
西田社長が記された通り、この25年間で「なぜ生きる」という問いの重さはますます増しています。 『なぜ生きる』が100万部という節目を迎えましたが、私はこれを150万部、200万部と、さらに多くの人へ届けたいと願っています。現在、12の国や地域で翻訳されていますが、世界中の人々にこの本を読んでいただきたい。
現在、地球上には80億の人々が生きています。その80億人すべてが、同じ命の価値を持っているのだということを、私たちは共有しなければなりません。 その共通認識が持てた時、初めてハイデガーが予見したように、世界の平和に対する見通しがつくのではないでしょうか。
私はこれからも、動画や言葉を通じてこの大切なメッセージを訴え続けてまいります。今日お話ししたことが、皆さんの「なぜ生きる」を考える一助になれば幸いです。
▲ この記事の元になった解説動画です